2018年10月号掲載
新渡戸稲造の不朽の名著 修養 自分を磨く小さな習慣
著者紹介
概要
新渡戸稲造著『修養』。1911年刊の名著を、わかりやすく紹介する。最悪の事態に備えて「心配の免疫」をつくる、知識より「知力」を養う…。教育者、そして国際連盟事務次長として活躍した国際人の彼が実践した、「自分を磨く法」の数々が説かれる。根性論ではないその教えは、現代人にとっても格好の“成長薬”といえよう。
要約
「決意の持続力」が人生を決める
私が考えるに、修養の「修」とは「身を修める」という意味である。すなわち、肉体の欲望のために心を乱さぬよう、心が主となって身体の動作または志の向く所を定め、進み行く意である。また、「養」とは「心を養う」の意であろう。
つまり「修養」とは「修身養心」ということだ。身と心の健全な発達を図るのが、その目的である。
日々の修養は、それを行っている最中にはそれほどに思わないが、段々集まり積もると、立派な人物を築き上げる。修養が身の肉となり、凡人と異なる所の人となる。
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何かやろうとする時、最初に志を立てること、すなわち「発心」は、どんな人でも幾度となく経験することである。「何々をしよう」とか「こんな人になろう」とかいうのは、みな発心である。
しかし、最初は勢いにかられ、熱心に行うけれど、永続しがたい。たいてい中途で嫌になる。
遅くとも最後まで歩き続けた人間が勝者になる
何事であれ、継続することは困難をともなう。古来の英雄さえもこれを難しとしている。
徳川家康の遺訓に、「人の一生は重荷を負うて遠きに行くが如し」とある。重荷を負ったまま遠くに行くのはきわめて苦しい。
それをくり返しやるのが継続であって、難儀はここにある。家康のような英雄さえも、継続の困難と必要とを認めて、切実に説いたのである。
「怠らず行かば千里の外も見ん 牛の歩みのよし遅くとも」。この古歌のように、遅くても怠らず一歩一歩と進めば、やがて千里の遠きにも達する。
一事に上達すれば、必ず万事に通ずる
くり返し継続すれば、いつの間にかその道に上達する。そして、一事に上達すれば、他事にも通ずるものである。