2021年7月号掲載
道徳感情論
Original Title :The Theory of Moral Sentiments.
著者紹介
概要
著者は、アダム・スミス。ご存じ、『国富論』を著した“経済学の父”である。同書では「自己の利益」の追求が語られたが、それに先立って書かれた『道徳感情論』では、他者への「共感」が人間行動の根底にあるとする。人は「他の人のことを心に懸けずにはいられない」と。この道徳哲学の名著を、新訳で紹介する。
要約
共感について
人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、その生まれ持った性質の中には、他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがある。それは、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる。
他人の不幸を目にしたり、状況を聞き知ったりした時に感じる憐憫や同情も、同じ種類のものである。他人が悲しんでいると、こちらもつい悲しくなるのは、実に当たり前のことである。
想像こそが、思いやる気持ちの源
ただし、私たちは、他人が感じていることを直接体験するわけにはいかない。従って、同じような状況に置かれたら自分自身はどう感じるかと思い浮かべてみない限り、他人がどんなふうに感じているのかはわからない。
仲間が拷問の責め苦に遭っているのに、こちらがのんきに暮らしていたら、どれほど苦しんでいるかを感じとることはできまい。私たちの感覚は自分の体から抜け出すことはできない。仲間の感じ方をいくらかでも知ることができるとしたら、それは想像によるほかはない。想像力の働きによって自分の身を仲間の状況に置いて考えたなら、当人がどう感じているかも少しはわかるだろう。
想像こそが、他人の不幸をわがことのように思いやる気持ちの源なのである。
互いに共感する快さについて
自分の胸中に湧いた情を他人が共にしてくれるのは大変快いものであり、何の共感も示されないのはひどくいやなものである。
私たちが友人にわかってもらいたいと願うのは、喜びのような快い情念よりも、悲しみのような不快な情念である。
不幸な人々は、自分がなぜ悲しいのか打ち明けられる相手を見つけた時、どれほど救われた気持ちになることだろう。相手の共感が得られたら、悲嘆のいくらかを引き受けてもらい、自分の重荷を下ろしたように感じる。この時、相手は悲しみを分かち合ったと言っても差し支えあるまい。
悲しみへの共感は、当事者の情念には及ばない
人間の情けない性で、私たちはなかなか友の幸福を心から祝うことができない。しかし、もしそれができる場合には、友の喜びは自分の喜びとなり、私たちは友と同じ幸福を味わうだろう。
ところが、悩める友を慰める時、こちらの感じ方は弱い。私たちは、友が不幸のいきさつを語る間、厳粛な態度で聞き入る。だが、こらえ切れない情念の爆発で友の話が途切れても、私たちの心は冷静で、友の激情に歩調を合わせることはない。
そこで自分の冷淡さを責め、無理にでも共感しようと努めたとしても、そうやってかき立てた共感は貧弱で、すぐに消える。