2022年8月号掲載
撤退論 ――歴史のパラダイム転換にむけて
概要
持続可能な未来のために、資本主義や地球環境破壊から「撤退」する時が来た ―― 。日本の国力が衰微しつつある現在、「撤退」は喫緊の課題である。我々はこの課題をどのように考えるべきか? 思想家・内田樹氏が、斎藤幸平氏(経済思想)、想田和弘氏(映画監督)ら15名に寄稿を依頼。衆知を集めた「撤退」論集である。
要約
「撤退」をテーマに寄稿を依頼
内田樹 思想家・武道家
先日、奈良県立大学の主催で「撤退学」をめぐるシンポジウムが開催された。日本のこれからの「撤退」はどういうものになるのかという問題を大学人が提起したことを、僕は頼もしく思う。
というのも、国力が衰微し、国民資源が目減りしてきている現在において、「撤退」は喫緊の論件であるにもかかわらず、多くの人々はこれを論じることを忌避しているように見えるからだ。
日本が「撤退」の議論を避ける理由
今の日本政府部内には「国力低下の現状をモニターし、その原因を探り、効果的な対策を起案するためのセンター」が存在しない。
個別的には、少子化をどうする、どうやって経済成長させるといった「前向きの」政策議論はなされているが、全体的趨勢としての国力の衰微の現状と未来を「総合的・俯瞰的」に検討する部局が存在しない。僕が言う「撤退」とは、この国力衰微の現実に適切に対応するということだ。
「撤退」を議するセンターが存在しない理由はいくつか考えられる。第1の理由は「日本の国力は衰微していない」という考え方に固執している人たちが国政を担当しているということだ。
「撤退」をめぐる議論は、これまで採択されてきた政策のうち、どの政策がうまく行って、どれが失当だったか、吟味することなしには始まらない。でもそれは、「失政を絶対に認めない」という立場をこれまで頑なに守り抜いてきた為政者にとって、「絶対にしたくない」ことなのだ。
第2の理由は、為政者も日本の衰微は認めており、その原因も理解し対策も講じているが、そのシナリオを国民に開示する気がないということだ。
彼らのこれまでの思考と行動パターンを考えると、それは新自由主義的な「選択と集中」をさらに徹底した、「強者に資源を集中し、弱者は見捨てる」というものになるだろう。でも、その「撤退」戦略を公開したら大多数の国民の怒りを買う。だから黙っている。そしてある日、政府の「撤退計画」以外の選択肢を採る可能性が失われた時点で、「もうこれしかありません」と手の内を明かす。そういうシナリオができていると僕は思う。
人口減少からの「撤退」
国力衰退には様々な指標がある。そのうち最も客観性が高く、誤差が少ない指標は人口動態だ。
日本の総人口は2004年をピークに減り続けている。人口減と高齢化は今後、多くの先進国でも起きるが、日本が世界で最も早くこのフェーズに入る。そうであれば、老人ばかりの国において人々がそれなりに幸福に暮らせるためにどういう制度を設計すべきかについて、日本は世界に対してモデルを提示する義務があると僕は思う。