1996年9月号掲載
[新装版]指導者の条件
著者紹介
概要
指導者のあるべき姿とは、いかなるものか。松下幸之助氏が古今東西の優れた指導者の事例を挙げて、そこから指導者に必要なものの考え方、姿勢、行動などを導き出した、リーダーシップに関する古典的名著である。全部で102のテーマについて、それぞれ見開き2ページの形でわかりやすく解説されており、1975年の初版発行以来、永く読み継がれている。
要約
指導者はどうあるべきか
指導者というものは極めて大事である。1つの国でも、優れた指導者がいれば栄え、指導者に人を得なければ衰えていく。会社でも、社長次第で良くも悪くもなる。組織の運営がうまくいくか否かは、指導者1人にかかっているともいえよう。
だから、指導者の立場にある人は、自分の責任の重大さをよく認識し、自分のあり方について、絶えず反省、検討しなくてはならない。
私自身も常々そういうことを考えている。そして自分を反省し、高めていく意味において、古今の優れた指導者のあり方を参考としてきた ―― 。
あるがままに認める
聖徳太子の作った十七条憲法の第一条に、「和を以て貴しとなす。さからうこと無きを宗とせよ。人みな党あり」とある。
「人みな党あり」とは、人間というものは必ずグループ、党派をなすものだということだろう。
そうした党派というものが、全体の運営の上で弊害をなす場合が少なくない。特に、「派閥」と呼ばれるものにはその傾向が強い。
そのため「派閥解消」ということが盛んに言われているが、あまり効果が上がらないようだ。
これは、結局派閥を作るのは人間の本質であり、派閥をなくすことは不可能だからではないだろうか。つまり、派閥というものは、その存在を認めた上で、活用、善用すべきものだと思う。
だから「和を以て貴しとなす」と、派閥だけの利害に囚われず全体の調和を大切にしなさい、と太子は説いたのだろう。
人間の本質というものは変えることができない。だから、その本質をまずあるがままに認めなくてはならない。そして、その上でどうあるべきかということを考える。それが大切なわけである。
けれども、実際にはなかなかそれができない。ともすれば、好き嫌いの感情や利害に囚われて物事を見てしまう。それでは事を誤る結果になる。