2009年3月号掲載
君子を目指せ小人になるな 私の古典ノート
著者紹介
概要
企業の不祥事が後を絶たない。これは、本来「君子」たるべき企業のトップが、自らの利益しか考えない「小人」になってしまった結果と言える。乱れた社会秩序を建て直すためにも、人間として真の豊かさを手にするためにも、「小人の道を捨て、君子の道に生きる」べし。そう述べる著者が、『論語』をはじめとする中国古典を引きつつ、あるべき君子像を説く。
要約
君子と小人
人間は、自らの欲望を満たすためだけに生まれてきたのではない。個々の人間には天から与えられた役割がある。その役割を果たすことが、人間としての最高の生き方につながっていく。
言い換えれば、それは「君子の道を歩む」ということである。
昨今の日本には、自分の利益を最優先にし、他人の気持ちを顧みないような考え方を持つ人が増えている。しかし、それで金を儲け、自らの欲望を充足できたとしても、そこに本当の幸せはない。
個人的な生き方を追求する人を、孔子は「小人」と呼んだ。そうした小人が増えるだけ、社会の秩序は乱れ、人と人との交わりは希薄になる。
今、我々に求められているのは、人間としての原点に立ち返り、自分が何のために生まれてきたのかを見つめ直すことである。
真に自らの役割に目覚めた時、我々の生き方は変わる。志を共有する善き人々との出逢いに恵まれ、心躍る楽しい時間を共に過ごすことができる。
小人の道を捨て、君子の道を生きるところに、人間としての真の豊かさが生まれるのである。
君子を育てようとした孔子
『論語』の冒頭には、次の有名な言葉がある。
「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや」
意味は、次の通りである。
――『詩経』『書経』等の学習をして礼・楽を実習で学んだら、これを適宜復習する。それは何と嬉しいことではないか。道を究める同じ志を持つ友だちがいて、遠方よりやって来てくれる。それは何と楽しいことではないか。誰も自分の実力を理解してくれなくても不平不満に思わない。これこそ立派な君子である。