2011年4月号掲載
決定版 菜根譚
著者紹介
概要
中国の明代に成ったとされる『菜根譚』は儒教、仏教、道教の3つの思想を融合し、その上に立って“処世の道”を説いた書である。日本には江戸時代に伝わり、多くの人々に親しまれてきた。本書は、この人生書の古典を、中国文学者の守屋洋氏が翻訳、解説したもの。漢籍に精通した氏ならではの味わい深い口語訳で、日本人が心に刻むべき数々の言葉が披露される。
要約
『菜根譚』の言葉
『菜根譚』は、一言でいえば、人生の円熟した境地、老獪極まりない処世の道を説いた本である。
老荘流の悠々自適の心境を語りつつも、功名富貴を否定しない。また、厳しい現実を生きる処世の道を説きながら、心の救済にも言葉を費やす。
だから、読む人の境遇によって、受け取り方が随分と違ってくる。このように、いろいろな読み方ができるところに、この書の魅力がある。
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道徳を棲守する者は、寂寞たること一時。権勢に依阿する者は、凄涼たること万古。達人は物外の物を観、身後の身を思う。寧ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取るなかれ。
【訳】〈人としての道をしっかりと守っていれば、仮に不遇な状態に陥っても、一時のことにすぎない。権勢にこびへつらえば、仮に得意の状態にあっても、長続きしない。道を極めた人物は、世俗の価値にとらわれず、死後の評価に思いを致す。一時は不遇な状態に陥っても、人としての道を守って生きる方がはるかに賢明ではあるまいか〉
「人としての道」は、原文では「道徳」である。普通、道徳といった場合、社会により時代によって変化していくものとされているが、ここでいう「道徳」とは、それとは違っていて、一定不変のものとして前提されている。人間が人間であるための条件といってよいかもしれない。
それを守るとは、要するに、人から後ろ指をさされないような生き方をするということである。
藜口莧腸の者は、氷清玉潔多く、袞衣玉食の者は、婢膝奴顔に甘んず。蓋し志は澹泊を以って明かに、而して節は肥甘より喪うなり。
【訳】〈粗衣粗食に甘んじている者には、清らかな心の持ち主が多い。これに対し、美衣美食にふける者には、上級者に卑屈な態度をとる者が少なくない。思うに、志操は質素な生活によって磨かれ、節操は贅沢な生活によって失われるものであるらしい〉
『三国志』の諸葛亮も、わが子にあてた遺書の中で、「澹泊に非ざれば、以って志を明かにするなし」と語りかけ、贅沢な生活を戒めている。
事々、個の有余不尽の意思を留むれば、便ち造物も我を忌む能わず、鬼神も我を損する能わず。若し業必ず満つるを求め、功必ず盈つるを求むれば、内変を生ぜざれば、必ず外憂を召かん。
【訳】〈何事につけ、余裕を持って控え目に対処せよ。そうすれば、人はおろか天地の神々も、危害を加えたり禍を下したりはしない。事業でも功名でも、トコトン追求してやまなければ、どうなるか。内から足を引っ張られるか、外から切り崩されるかして、いずれにしても失敗を免れない〉
「盈つれば虧ける」(『易経』)のが世の習いであって、そこから、もう1つ「余地をとどめる」という処世態度が生まれてくる。