2011年5月号掲載

森信三に学ぶ人間力

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著者紹介

概要

森信三師は、日本を代表する哲学者、西田幾多郎らの教えを受けた後、その生涯を国民の教育に捧げた教育者、哲学者である。著者の北尾吉孝氏は、この“人間教育の師父”を敬愛してやまないファンの1人。『修身教授録』に出合って以来、20年近くその思想・哲学を学び続けているという氏が、同書をはじめ数々の著作の言葉とともに、森師の生涯と思想を紹介する。

要約

森信三先生 ―― 生涯の歩み

 森信三先生は明治29年、愛知県で父・端山俊太郎、母・はつの三男として生を受けられた。

 その後、両親が離婚、2歳の時に森家に養子に出される。森家は小作人で、裕福ではなかったため、信三少年は人生の悲哀を味わって育つ。

 明治36年、岩滑尋常小学校に入学。「信三さんにかなう者なし」と言われるほど頭が良く、高等科へ進んだ。だが、高等科の校長から「お前の家では(貧しくて)中学に行けないから、師範学校に行って先生になるしかない」と言われる。

 ショックを受けつつも、名古屋第一師範学校に入学した森少年は同校を首席で卒業、横須賀尋常高等小学校へ赴任する。そして1年半が経った頃、才能を惜しむ友達や親戚が学資援助を申し出た。

 彼らの助けを得て、先生は広島高等師範学校に進学、そこで西晋一郎という、森先生が「終生の師」と仰ぐことになる倫理学者と出会った。

 この西先生の下で学んだ森先生は、次に京都帝国大学哲学科へ進む。そこで、日本を代表する哲学者、西田幾多郎先生と出会い、その教えを学ぶ。

 京都帝国大学哲学科を首席で卒業した森先生は、大阪天王寺師範学校専攻科に教師として勤められた。この時の修身科の授業をまとめたものが、昭和14年に出版された『修身教授録』である。

 その後、満州の建国大学の教授に就任。日本の敗戦に伴いソ連軍に捕まり、シベリアへ送られそうになるが、白系露人の教え子に助けられ、釈放された。その後も、零下30度の寒さと飢えで死にかけるが、何とか一命を取り留めて帰国する。

 帰国した先生は、「学者にあらず、宗教家にあらず、はたまた教育者にあらず、宿縁に導かれて、国民教育者の友として、この世の生を終えん」という決意を固め、個人誌『開顕』を刊行し、国民教育家として啓蒙活動を始められた。

 こうして、国民教育に生涯を捧げられた森先生は、平成4年、96歳の天寿を全うされた。

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