2013年2月号掲載
「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ひとり達人のススメ
著者紹介
概要
宗教学者の山折哲雄氏が、日本人ならではの無常観、死生観などを基に、人間が「ひとり」であることの意味を考察。いじめや自殺、孤独死等の問題を「ひとり」を手がかりに論じ、ひとりがもたらす幸せについて語る。ひとりでいることを否定的に捉える向きもあるが、ひとりになることを考え、突き詰めることが、充実した生、そして死を迎える上で大切だと説く。
要約
「ひとり」がもたらすもの
2012年は、ロンドン・オリンピックに注目の集まった夏だった。様々な競技が行われた中、私が非常に強い印象を受けた種目と選手。それは、皆さん方とは、少々違うかもしれない。
かねてより私の中には、人間が「ひとり」であることの、1つのイメージがあった。その理想的な姿を体現して見せてくれた選手がひとりだけいた。重量挙げの三宅宏実選手である。
銀メダルを決めた最後のバーベル挙げでは、実に美しい姿を見せてくれた。この姿こそが、私の考えている「ひとり」という人間のあり方を、象徴的な形で表してくれるものである。
このスポーツは、バーベルを天に向かって突き上げる、これだけの競技だ。しかし、その運動の形態自体、そして運動の方向性そのものが、天へと向かう垂直な軸を無限に含んでいて、しかも、その動作を、おのれひとりで行う。そこに、競技者の精神性、心の姿まで表れているので、他のどんな競技よりも心を打たれてしまったと思う。
ところが、世の中は、グループで戦う競技に非常に関心を示す。その代表がサッカーである。
これに対して、たったひとりで孤独な道を歩きながら、コツコツと努力を重ね、高いレベルまでに達する人間を、多くの人は、ある程度は評価するけれど、自分自身と重ねてどのように受けとめたらいいのかわからないように見える。
ということは、ひとりで戦うという生き方を、今の社会が忘れつつあるからかもしれない。
これは、今の社会で、ひとりということを考える場合、非常に重要な1項目といえそうである。
人間はいかにして自分を飼い馴らすのか
例えば、いじめも、ひとりと深く関わっている。
司馬遼太郎さんの小説に、『菜の花の沖』という作品がある。主人公は江戸時代後期の廻船業者、高田屋嘉兵衛。嘉兵衛は実在の人物で、淡路島で生まれた。淡路島には若衆宿の制度があり、そこで彼は徹底的にいじめられる体験をしている。
若衆宿というのは、地元の若者が完全平等主義で自治組織を作り、天災や飢饉があると集団で人々のために奉仕するという制度。そこにはいくつかのルールがあり、掟を破った人間には徹底的に制裁を加える、つまり、いじめて半殺しにする。