2015年1月号掲載

後世への最大遺物・デンマルク国の話

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著者紹介

概要

「私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない」 ―― 。明治27年、内村鑑三がキリスト教青年会の夏期学校で行った講演、「後世への最大遺物」を紹介する。誰もが実践できる真の生き方とは。後世に遺すべきものとは。人生の根本問題が熱く語られる。

要約

「後世への最大遺物」とは何か

 本稿は、明治27(1894)年7月に内村鑑三がキリスト教徒夏期学校において行った講話である。

 この夏期学校に来るついでに、私は東京に立ち寄り、親爺と詩の話をした。親爺が頼山陽の古い詩を出してくれた。その中に、私の幼さい時に私の心を励ました詩がある。

 「十有三春秋、逝者已如水、天地無始終、人生有生死、安得類古人、千載列青史」

 山陽が13の時に作った詩だ。外国語学校に通学していた頃に読み、同感に堪えなかった。私は子供の時から身体が弱かったが、私も1人の歴史的な人間になって、千載青史に列する(歴史や記録に残る人物になること)を得るくらいの人間になりたいという心が起った。

 私がそのことを父に話し友達に話した時に、「汝にそれほどの希望があったならば、汝の生涯はまことに頼もしい」と言って喜んでくれた。

 ところが、キリスト教の教えを受けた時には、この欲望がなくなってきた。すなわち、人間が千載青史に列するを得んというのは、肉欲的、不信者的な考えだ。クリスチャンなどは功名を欲することはなすべからざることだ、という考えが出てきた。それゆえに私の生涯は前の生涯より清い生涯になったかもしれない。けれども、前のよりはつまらない生涯になった。

 なるほど千載青史に列するを得んということは、下等なる考えかもしれない。しかしながら、ある意味からいえば、そんなに悪い考えではない、本当の意味にとってみるならば、キリスト教信者が持ってもよい考え、持つべき考えではないかと思う。

この世を愛したという記念碑を置いて逝きたい

 すなわち私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。

 私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。

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