2023年1月号掲載
ハイパーインフレの悪夢 ――ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する――
Original Title :WHEN MONEY DIES:The Nightmare of the Weimar Hyper-Inflation (1975年刊)
著者紹介
概要
1923年、ドイツは空前絶後のハイパーインフレに見舞われた。毎日、商品は値上がりし、紙幣は紙くず同然に。そして国が破綻…。通貨の価値が10年前の1兆分の1になるという「通貨の崩壊」は、なぜ起きたのか? パニックに陥った国民、困難な決断を先延ばしにした政治など、当時の状況を克明に描き、我々の反面教師とする。
要約
ドイツで何が起こったのか
第一次世界大戦勃発前夜の1913年、ドイツのマルク、イギリスのシリング、フランスのフラン、イタリアのリラ、これら4通貨の価値はほぼ等しかった。それが、10年後の1923年の末には、マルクはかつての1兆分の1まで値下がりし、紙くず同然になった。
下落の始まりは、ゆるやかだった。マルクの国際相場は1914年から18年にかけ、半分まで下がったあと、1919年8月までにさらにその半分に下がった。そして1921年初頭、加速度的に落ち始め、1923年、ついにドイツの通貨は崩壊した。オーストリアとハンガリーに続く「通貨の崩壊」だったが、事態の深刻さは両国を上回った。
通貨崩壊の結果
1923年はドイツにとって、苛烈なインフレの年になった。金融当局は冷静な判断力を失い、民衆は経済破綻の波に飲み込まれた。情け容赦のない徹底的な金融制度の建て直しが図られた。だが、通貨を正常に戻そうとしたその取り組みは、多くの者を破産に追い込み、膨大な数の失業者を生み出し、無数の国民から希望を奪った。
ここで考えるべきなのは、そして危険として認識すべきなのは、インフレが国にどんな影響を及ぼすかという点だ。政府や国民はどんな被害を受けるのか。おそらく、物質主義的な社会ほど、大きな打撃をこうむるだろう。第一次大戦で敗れたドイツ、オーストリア、ハンガリーの経験から学ぼうとするなら、次のことに気づくはずだ。
私たちは通貨をあらゆる価値の基準にし、社会的な地位の証しにし、安心の拠り所にし、労働の成果を蓄える手段にしている。だからひとたび、通貨が崩壊し始めると、欲望や暴力、不満や憎悪 ―― それらはたいていは恐怖から生まれる ―― が、とたんにむき出しになる。そうなったら、いかなる社会であっても麻痺し、変わり果てた姿を呈さずにはいられない。
期待は裏切られ、事態は悪化していく
実際、1922~23年、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの民衆は飢えや病気、貧困、ときには死と向き合わされた。しかし、それが平穏な日々の中で発生した一過性の嵐のようなものだったら、誰もがその2年をやり過ごせただろう。
国民の意気がくじかれた最大の理由は、それまで長い間、あらゆる苦労を耐えてきたところへ、とどめを刺すように前代未聞の災難が、その2年間に降りかかってきたことにあった。
当時の演説原稿や新聞記事、書簡や日記を読むと、それらには必ず、「こんな状態がこれ以上長く続くはずはない」と書かれている。しかし、その期待は裏切られ、事態は悪化していった。
政治家も国民も間違ったこと
興味深いことに、ドイツでもオーストリアでもハンガリーでも、大多数の人々は通貨の価値が下がったとは思わず、絶対的な物の値段が上がったと思った。インフレの犠牲者はみんなそう思う。
それは極めて素朴な反応だった。自国通貨の価値が下がったのではなく、他国通貨の価値が不釣り合いに上がったせいで、日常の品物の値段が押し上げられたのだと、初めのうちは誰もが思った。
この反応は、一般市民だけではない。政治家や銀行も、マルクの減価には気づいていなかった。ほとんどのドイツ国民は、慣れ親しみ信頼している通貨マルクを手放そうとしなかった。