以前、無期懲役の判決を受けたひとりの黒人が、囚人島に移送されました。その黒人が乗っていた船は「リヴァイアサン」といいましたが、その船が沖に出た時、火事が発生しました。
その非常時に、黒人は手錠を解かれ、救助作業に加わりました。彼は、10人もの人の命を救いました。その働きに免じて、彼は後に恩赦に浴することになったのです。
解説
第2次世界大戦時、ナチスの強制収容所で地獄のような体験をしたヴィクトール・フランクルは、この黒人を例に引いて次のように言う。
もし誰かが、この無期懲役の判決を受けた黒人が船に乗る前に、「お前がこれからも生きる意味がまだあるのか?」と尋ねたとしたら、たぶん彼は首を横に振らざるを得なかっただろう。
だが、どんなことが自分を待ち受けているかは、誰にもわからない。10人の命を救う仕事が黒人を待ち受けていたように、どのような重大な時間が、どのようなチャンスが、まだ自分を待ち受けているか、誰にもわからないのである。
だから、私たちが自分に対し、「生きる意味があるか」と問うのは初めから間違っている。
私たちは生きる意味を問うてはならない。人生こそが、私たちに問いを提起しているからである。
生きていくことは、その「人生の問い」に答えることに他ならない。そしてそれは、生きていることに責任を担うことである。
こう考えると、恐れるものは何もない。どのような未来も怖くはない。現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出す新しい問いを含んでいるからである。