世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。
解説
「世間」には、形をもつものと形をもたないものがある。「形をもつ世間」とは、同窓会や会社、政党の派閥、スポーツクラブなどであり、「形をもたない世間」とは、隣近所や、年賀状を交換する人などの関係を指す。本書がいう世間とは、主として形をもたない世間のことである。
多くの日本人が属している世間は、比較的狭い。彼らにとって「人類」などという観念は遠いものにすぎず、実感をもって仲間と考えているのは自分の世間の中の人だけだ。
例えば、団体旅行の場合、小さな世間がそこにはできていて、列車の中で宴会が始まれば、その世間に属さない人の迷惑などはまずかえりみられない。自分たちの世間の利害が何よりも優先される。このように世間は排他的である。
世間については、他にも注目すべきことがある。
例えば、政治家や財界人などが何らかの嫌疑をかけられた時、「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。この言葉を英語やドイツ語などに訳すことは不可能だ。西欧人なら、自分が無実であれば最後まで闘うことになるだろう。ところが日本人の場合、世間を騒がせたことについて謝罪する。
このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている小さな人間関係の環なのだ。自分は無罪だが、疑われたというだけで、自分が一員である環としての世間の人々に迷惑がかかることを恐れて謝罪するのである。
日本人は自分の名誉より、世間の名誉の方を大事にしているのだ。