2016年7月号掲載
努力論
著者紹介
概要
努力こそ人を幸福にする最善の道 ―― 。明治の文豪・幸田露伴が、幸福についての自らの理論を大成した『努力論』の現代語訳である。「幸福三説」(惜福、分福、植福)をはじめ、人が幸せになる上で必要な努力がわかりやすく語られる。仕事や人生に悩む現代人に貴重な気づきを与えてくれる、含蓄に富んだ生き方論だ。
要約
「直接の努力」と「間接の努力」
努力には2種類あるということを、皆さんはご存じだろうか?
1つは「直接」の努力。もう1つは「間接」の努力である。
「間接の努力」とは準備段階における努力で、基礎となり、自分の源泉となる努力である。
「直接の努力」とは当面の努力で、一所懸命に頑張っている時の努力だ。
人は時々、努力が無駄になることを心配し、嘆くことがある。
しかし努力とは、「結果が出そうか・出なさそうか」によって、「するべきか・しないべきか」を判断するようなものではない。努力というのは人がいつまでも自らすすんで実行し、やめることをしない、人間性の本質なのだ。だから私たちは、努力すべきなのである。
小さな努力をすれば、小さな結果が出るのが通常だろう。しかし、努力の結果が、必ずしも望んだものでないことはある。
それは、努力の方向が悪いか、あるいは間接の努力が足りず、直接の努力ばかりに終始してしまっているからだ。無理な願望に対して努力してもそれが実現することはないし、準備段階の努力が欠けていては、叶うはずの願望も叶わない。
「瓜の蔓にナスがなってくれたら」と願うのは努力の方向が間違っているし、優れた詩や和歌をつくろうとして、ただやみくもに作品を書き連ねて悪戦苦闘しているのは、きちんとコツを学ぶのを怠っているということ。つまり、間接の努力が足りないのである。
努力とは、たとえその効果が期待できなくても、人間が性の本質として求め、命のある限りは、自然と「そうしよう」と促されるものである。
だから皆さんには、「努力している」ということを忘れてしまい、「気づいたら自分がやっていることが、いつのまにか努力になっている」という状態になってほしい。