血液の在庫量を増やそうとした輸血センターの所長は、ある日、献血者に報奨金を出すことにした。その結果、所長の予想に反して、献血者の人数が減ったのである。
その理由は、謎でも何でもない。それまで人々は、善意から献血に協力していたのだ。道徳心のある彼らは、他者を思いやる精神の持ち主だったのだ。だが、報奨金によって、すべてはがらりと変化した。献血が、他者を助けるのではなく、お金を稼ぐ行為になったので、彼らの献血に対する考えは一変した。(中略)道徳心をもつ人物は席を外し、代わりに〈ホモ・エコノミクス*〉がやって来たのである。それぞれ別の役割をもつ彼ら2人が、同じ席に着くことはできないのだ。
輸血センターの所長が目的を達成するには、2つの方法しかない。すなわち、報奨金制度を断念して以前の状況に戻すか、破れかぶれで報奨金を釣り上げて献血者を集うかである。過去30年間、現代社会は後者を選択してきた。
解説
フランスを代表する経済学者ダニエル・コーエンは、「経済と私たちの関係は、歴史的な転換期を迎えている」として、次の指摘をする。
今日、先進国では、人生は長く豊かだ。しかし、ほとんどの人々は人生を辛いと感じている。
フランスでは、ここ30年間に抗うつ薬の服用量は3倍になった。米国では、幸福だと感じる指数は、1950年代よりも30%近く低い。
先進国は物質的にはるかに豊かになったのに、どうして幸せを実感しにくくなったのか。
その理解のカギになるのが、この献血の逸話である。チャールズ・ダーウィンは、人間を含む多くの動物種は「同一種の個体同士で協力し合うことがある」と主張し、これを「社交性および共感力」と名付けた。
だが、近代社会は、これと正反対の方向へ向かった。すなわち、“協力”よりも“競争”を優先するようになったのである。そうなれば、勝者が生まれるが、敗者も生じる。脆弱な者たちが勝者たちに排除される「自然淘汰」が、いたるところで猛威を振るっているのである。
*:経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動する人間像のこと